上海モビテックの事
- Matsumoto Toru
- 2021年10月17日
- 読了時間: 2分
長城汽車で仕事をしている時に、この会社を紹介されて面接を受けた。
2016年の事だった。
当時この会社にはトヨタで仕事の経験がある中国人がいた。
勿論日本語も話す事が出来た。オンラインで面接を受けて直ぐに合格が決まった。
この会社の主力製品はサンルーフで、今でもサンルーフは中国ではとても人気が高い。
だから中国車には何らかの形でサンルーフが装着されている。
長城汽車を辞めて、この会社の顧問になり約1年間仕事した。
仕入れ先さんの工場監査とか市場問題の対策とかDRBFMも社員に教えた。
やりたい事は一杯あったが、あっけない幕切れだった。
暫くは長城汽車の就業ビザで仕事をしていたが、この会社で新たに就業ビザを申請することになり、私も上海の日本大使館に行ったりしたが、結局上手く申請が出来ずに、日本に戻ることになった。
なぜ就業ビザが取得出来なかったかは今でも不明であるが、一度日本に戻り2年間東京で仕事をした。
それからまた中国に縁が出来て広州に来る事になった。この時の事がトラウマになり就業ビザが上手く申請出来れば良いと考えながら、広州に来た。広州にはMビザで入り、広州の役所に就業ビザの申請に行った。
暫くして4年間の就業ビザが手元に届いた。
今でも時々なぜ上海でビザが取得出来なかったのか考えることがある。
しかしビザが取れなかったお陰で、今こうして広州に縁が出来た。
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